創立者の歩み | |||
年号 | 西暦 | 事項 | |
明治 | 創立者 宇治田積 |
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25年 | 1892 | 長野県東筑摩郡宗賀村洗馬(現、長野県塩尻市洗馬)に はたごや(よしのや)の三男として生まれる |
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大正 | |||
2年 | 1913 | 官立金沢医学専門学校医学部(現、金沢大学医学部)入学 | |
6年 | 1917 | 東京神田三井慈善病院(現、三井記念病院)の研修生になる | |
7年 | 1918 | 日本赤十字社、長野県支部病院(現、長野県赤十字病院) 医員拝命外科勤務 |
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8年 | 1919 | 小野村(現、辰野町小野)宇治義子と結婚 | |
9年 | 1920 | 大宮町(現、さいたま市大宮区宮町1丁目)に 宇治診療所を開業 |
沼野村長・小島村長 森川村長・宇治町長・林村長 |
14年 | 1925 | 国有鉄道嘱託医となる | |
〃 | 〃 | 大宮信用組合(現、埼玉県信用組合)創立の発起人になる | |
昭和 | |||
5年 | 1930 | 現住所に病院を開設 | |
9年 | 1934 | 大宮町医師会(現、大宮医師会)理事になる | |
12年 | 1937 | 大日本国防婦人会大宮町分会顧問になる | |
〃 | 〃 | 大宮町長(現、さいたま市長)に選出 (昭和12年〜昭和15年) |
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13年 | 1938 | 帝国在郷軍人会大宮町分会顧問になる | 左から清水市長・宇治田積・ 福永代議士・高松宮妃殿下 |
〃 | 〃 | 埼玉県北足立郡畜産組合大宮町委員になる | |
〃 | 〃 | 北足立郡大宮町農地委員会会長就任 | |
〃 | 〃 | 愛国婦人会埼玉県支部北足立郡大宮町分会顧問になる | |
〃 | 〃 | 埼玉県大宮商工奉任(現、さいたま市商工会) 委員事務所長就任 |
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14年 | 1939 | 大宮警防団長(現、消防団長)に就任 | |
〃 | 〃 | 大宮警察署経済警察協議員になる | |
15年 | 1940 | 日本赤十字社埼玉支部大宮西少年赤十字團顧問になる | 福永前代議士・宇治田積・高松宮妃殿下 |
16年 | 1941 | 大宮市社会事業協会顧問になる | |
18年 | 1943 | 大宮警防團顧問になる | |
21年 | 1946 | 埼玉県医師会大宮支部幹事任命(22年まで) | |
27年 | 1952 | 結核指定医療機関研究会々長推薦される | |
〃 | 〃 | 大宮市(現、さいたま市)教育委員会委員長に就任(33年まで) (新制中学創設及び大宮北高等学校開設) |
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29年 | 1954 | 宇治病院理事長に就任 | |
31年 | 1956 | 大宮公園サッカー日本選手権大会の際前右から 高松宮妃殿下・福永代議士・宇治田積教育委員長・清水市長 |
福永前代議士・高松宮妃殿下・宇治田積 |
〃 | 〃 | 盆栽村(現、さいたま市北区盆栽町)九霞園にて | |
33年 | 1958 | 鉄道嘱託医懇話会々長に推薦される | |
〃 | 〃 | 5月25日午前8時30分、大宮市現、(さいたま市大宮区 宮町2丁目)の自宅で逝去(享年67) |
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48年 | 1973 | 名誉市民章授与される | |